小学生になり
新しく出来た友達の家に遊びに行った時はちょっと衝撃と言うかショックでした。
川沿いにせりたったバラック群というか集落というのか・・・。
川からつっかえ棒で支えてる家もあり、生活排水は下の川へ直通。
ある意味、圧巻でした。
吉永小百合さん主演で映画の舞台にもなったそうです。
「自分と居れば大丈夫だから」
と言われ集落に入りましたが途中、周りからはジロジロ見られ、
閉鎖的な感じでとても怖かった記憶があります。
その後
中学生になって出来た友達で、いまだに忘れられない事があります。
家に行き初めて知りました。そこは、孤児院でした。
彼は孤児だったのです。
妹も居ました。
「中学を卒業すれば出なければいけない、働いて妹を引き取るんだ」っていってました。
帰りにトイレに行き、それは外にある共同便所で掃除をしたことって有るのかなって思えるほど、
入った瞬間汚臭で吐きそうになり、彼には悪いと思いながらもあわてて帰った事を憶えています。
当時、私は自分との環境の違いにショックは受けましたが、それだけです。でも、彼らの環境を差別的な目で見ている人たちは確かに居ました。
でも、そういった生活環境って、彼らのせいですか。?
そんなこと無いですよね。
彼らもみな、被爆二世です。
それに、彼らは皆んな一様に、当時の私よりバイタリッシュでした。私自身、羨ましく思うぐらいだったです。
当時
私は子供だったこともあり余りそういった差別に関しての知識が無かったのですが、後年になり部落差別があったと聞いてます。
バラックに住んでる人たち以上の地域的な差別が有ったようで被爆当時はそれが深刻化したようです。現在でもお年寄りの中には未だに差別意識をもたれている方がいるようです。いわゆる、都市部落差別です。
戦後生まれですからあとで聞いただけの話ですが、被爆して大変なときによくそんな事してられるよなって思います。
でも、私達の時代にも都市部落差別って本当に有ったようです。私が上京する前に当事者から聞き、まだそんな事があるんだって驚きました。私には、差別する理由も原因も分かりません。わかろうとも思いません。みんな一緒ですから。
その時の当事者はその地域の出身者です
そして、私の家内です。
もう、30年以上一緒にいます。
二人とも元気です。
子供たちも。
孫たちも。